Theological Dissertations

カルヴァンにおける悪の問題(上)

更新日:2022.08.03

はじめに
1 『キリスト教綱要初版』の「フランス国王への序文」(1536)
2 『サドレへの返書』(1539)
3 『教皇派の中にある、福音の真理を知った信仰者は何をなすべきか』(1543)『ニコデモの徒に告ぐるジャン・カルヴァンの弁明』(1544)
4 『躓きについて』(1550)
5 再洗礼派とリベルタンへの駁論(以下は次号「カルヴァンにおける悪の問題(下)」)
6 『ヨブ記説教』に見られる悪の理解と悪との対決
  『ヨブ記説教』の背景
  『ヨブ記説教』における悪の理解
7 カルヴァンにおける悪の問題-『キリスト教綱要』(1559年版)から
  アウグスティヌスの理解の受容と相違点
  悪と神義論
  悪と摂理論
まとめ

 

はじめに

宗教改革は、信仰義認という教理の再発見、あるいは聖書のみという原理の確立、ローマ・カトリック教会の位階制度の否定と新しい教会理解など、いわゆる教会の教理と制度の改革刷新という側面からもちろん論じられねばならないし、多くの研究者たちは、そのようにしてきた。

しかし、現代のわたしたちが忘れてはならないのは、教理の刷新と改革は、それを遂行したカルヴァンとその同労者たちが、敵対する勢力と熾烈な戦いを演じることで、まさに血の滲むような努力を怠らなかったことによって達成された事実である。カルヴァンは、対抗するローマ・カトリック教会の勢力の中に自己保身と虚偽の悪と罪の現実をいち早く見出だしたが、それと共に、改革が進むとともに、改革を唱える陣営の中にもまた、深刻な悪と罪が存在することに気づくようになる。

すでに、前号において、筆者は「福音の偽装」に対するカルヴァンの激しい批判の神学的な意味を明らかにしたが[1]、本稿では、カルヴァンが「福音の偽装」を悪やサタンと同一視しながら、神学的に悪やサタンをどのように理解していたのか、さらには悪の理解と神義論や摂理論がどのような関係のうちにあるかなどを論じる。

その際の方法は、カルヴァン自身の著作にあたって、悪とサタンの問題がどのように論じられ、分析されているかを検証することにある。しかも、悪とサタンを神学的な思索の対象とするだけでなく、それと戦うフロントにいるカルヴァンの言葉にとりわけ注目したと思う。そうするのは、カルヴァンの著作自体に内在する著作執筆のコンテキストを探索しながら、彼の悪理解、サタン理解の最奥にあるものを考察の対象としたいからである。

このような問題意識は、宗教改革の神学をコンテキストから切り離して、教理の刷新とのみ専ら扱うことによって、宗教改革の本質理解を見誤ってきたこれまでの日本における宗教改革研究に一石を投じるものとなるであろう[2]。

わたしは、古代教理史を専門とするものだが[3]、折に触れ、日本人の手による宗教改革関係の著作に親しんできた。しかし、カルヴァンの神学を教会刷新の戦いと理解し、彼が戦った対象である偽善の悪について論じた論考が皆無であることに気づき、不思議の感を抱き続けてきた。

おそらく日本の教会は、日本の民主主義と同じく、宗教改革の神学的確信を自ら勝ち取ったわけではなく、常に所与のものとして、何の労苦もなく与えられてきたものにすぎないゆえに、カルヴァン神学に内在する「戦いの教会」の言語には、ほとんど反応を示してこなかったのだと思料される。むしろ戦う神学は一段低いものとして、つまり静粛な神学的思索とは相いれない、16世紀の時代というコンテキストが造り上げる「雑音」のように聞いてきたのではないか。つまり、日本の宗教改革研究では、信仰共同体を形成する戦いの中での神学的な構築という側面がきわめて希薄であるということだろう。

もっとも本稿の目的は、カルヴァンにおける悪の教説や悪の理解を体系的に整理することではない。あるいは彼の生きた時代の一次史料にあたってコンテキストとカルヴァン神学の関係を精緻に分析するというものでもない。本稿は、限られた紙幅の中で、カルヴァンは、悪とどのように戦ったか、そして戦いの中で悪をどのように理解したかという点の解明を目指す。特に『キリスト教綱要』のみならず、初期の論争文書、さらには後期の『ヨブ記説教』までを射程に入れながら、カルヴァンの悪の理解を明らかにすることによって、カルヴァン神学全体の理解に新しい地平を開くことを目的としている。

結論を先取りして言えば、カルヴァンの考える悪とは、それと戦うことによってはじめて正体を露わにし、その存在のすべてを見せる。戦うことなく「考察された」悪は、もぬけの殻のような実体なき悪であって、本当の悪とは到底言えない代物である。カルヴァンは、戦いつつ神学する改革者として、経験的にも神学的にも、悪のこのような側面をよく見抜いていた。

カルヴァンにとって悪とは、「福音の偽装」であり、偽装された福音によって、人々を欺き、支配する人間の企みである。それゆえに、悪は私たちが考えるような醜悪な外観を直ちには持たず、時に人間にとって心地よきもの、益を付与するもの、善なる存在(もちろん善の仮面をかぶっているにすぎないが)としてしか映らない。悪は、常に人間を欺き、自らを偽装する。カルヴァンは、初期には、ローマ・カトリック教会の神学と行為の中に、「福音の偽装」を見抜き、それと戦うことになる。さらに、ジュネーブの改革運動のもっとも近い所に活動したリベルタン運動、さらには宗教改革運動の内部に寄生している偽装的な宗教改革運動推進者たち、さらにはそれらを批判して登場した再洗礼派にも偽装を感知し、徹底して戦うスタンスをとった。カルヴァンが戦ったフロントは、後期になればなるほどその領域は拡大していき、カルヴァン自身が被った歴史の悲惨、家族の死、セルヴェトスの処刑、自分自身の病などと相まって、悪は彼自身の内部へと入り込み、彼を脅かす存在となっていく[4]。そのような現実との戦いの中で、カルヴァン自身が、悪をどう理解し、それに対処し、戦い続けたかを明らかにしたい。

 

1『キリスト教綱要』初版の「フランス国王への序文」(1536)における悪の理解

『キリスト教綱要』初版は、1535年に完成し、同年8月25日付のフランス国王フランソワ1世に宛てられた序文が付されている[5]。この序文は、『キリスト教綱要』がただ単にキリスト教の基礎知識を教える書物というより、ローマ・カトリック教会に対する戦線布告の宣言の色彩を帯びていることを示している。Williston Walkerによれば、序文は「弁明文書の数少ないマスターピースの一つ」であり、「不正への憤りと抑圧された人々の正しさを証明しようとする勇気の実例」なのである[6]。それだけでなく、カルヴァンが、敵対するローマ・カトリック陣営をはっきりと疫病のような存在、悪魔の化身であるサタンと位置付けていることから、カルヴァンの悪の理解を解くだけでなく、後のカルヴァンの神学的な著作全体の鍵となる文書である。

カルヴァンはまず、「しかし私は、陛下の王国の中に、不敬虔な人々の狂気があまりにもはなはだしくなり、この地に健全な教えのための余地がもはやまったくないのを見ましたので・・」[7]と記す。「不敬虔な人々の狂気」というかなり激しい言葉でカルヴァンが意味するのは、彼の時代に跋扈している悪しき人々、悪そのものである。カルヴァンは、戦いつつ書いていることは明らかである。続く箇所で次のように語る。「また私は恐れずに申しますが、この書に私は、彼らが口をきわめて叫び、投獄、追放、禁止、火刑によって処すべし、陸からも海からも追放すべしとしている当の教理の大要を収めました」[8]。

ここには、『キリスト教綱要』初版自体が、戦いの書物であることが示唆されている。カルヴァンが示す教理の大要は、あらゆるところで退けられ、「虚偽や奸策や中傷によって、不正にずる賢いやり方で弾圧されている」[9]と明言されている。序文の出だしの部分は、要するに、カルヴァンをはじめとする改革者たちの教理は、おぞましい中傷によって誤解され、貶められているから、個人的な弁明ではなくて、「信者の共通の訴え」「キリストご自身の訴え」を示そうとしているのだと情熱的な筆致で描き始めている。『キリスト教綱要』は、確かにルターの小教理問答に範をとった教理の体系的な叙述という側面を持ちながら、本質は、ローマ・カトリック教会という敵対者に対抗し、そこに否をつきつける教理だと述べているのである。

カルヴァンは、当時のローマ・カトリックの論客たち、宗教改革の教えを非難する人々をファリサイ人にたとえている[10]。ファリサイ人にたとえられる反対者たちは、カルヴァンたちこそ「神の言を偽って主張しており、そのもっとも忌むべき破壊者であると言い立てております」。「しかしこれがいかにも悪意に満ちた中傷であるのみか、度外れた破廉恥であることは、私たちの表明をお読みになれば、陛下はその御叡智によって判断なされることと存じます」[11]と述べている。

この「反対者たち」すなわちローマ・カトリック教会の聖職者階級に属する人々は、「真の信仰を知らないこと、受け入れぬこと、軽んじることを自他ともに容認し、また教会の判定にはだれでもいわゆる『暗黙の信仰』をもって従いさえすれば、神またキリストに対してどんな信仰をもっていようがいまいが、大したことではない」と考えていると論評する[12]。カルヴァンは、これら聖職者階級に属する反対者たちを、「自分の腹に最大の関心をもつ者」と呼んでいる。彼らこそ、「みずからの信仰に対する最大の敵対者となる」とも指摘する。これは、明らかに挑発に近い、告発である。このように非難されたローマ・カトリック陣営が、カルヴァンらを再洗礼派と同じようにみなし、迫害の対象としたことは驚くにあたらない。

この告発が、悪の本質を言い当てている。悪とは、結局「自分の腹に最大の関心を持つ」ゆえに、信仰も教会をいかにも尊びながら、実は二の次であると考え、自分のことを第一にする生き方である。カルヴァンが身をもって知るようになるのは、このような悪の現実が改革陣営の中にいて「正しい福音」を語る人々にも存在するということであった。

さて、ローマ・カトリック教会の反対者たちは、カルヴァンらの教理を攻撃し続け、「新しい」「生まれたばかりの」ものと呼んで、「あやしげで不確かなもの」とあざける[13]。これに対して、カルヴァンは、自分たちの教理は、聖書に根拠づけられているのであり(例えばローマ4:25)、「この教理が長いこと埋もれ、隠れたままになっていたのは、人間の不信仰の罪であります」と断言する[14]。つまり、カルヴァンは、自分たちが「何か新しい福音をつくり上げているのではなく、かつてキリストと弟子たちが行った奇跡のすべてによって真実性を証明されている、そのような福音を保持しているのです」[15]と語り、埋もれていた福音を信仰をもって語り始めると言外に述べている。

カルヴァンにとって、奇跡はすでに起こった出来事であり、福音を自分たちの教会や聖職者が行う奇跡によって証明するというのは、馬鹿げたことという。そこで、カルヴァンは、次のように述べてローマ・カトリック教会をサタンと呼ぶ。「彼らの奇跡はサタンのそれであって、真のわざよりも目をくらますものであり、無知蒙昧の輩をだます類のものであることを想起すべきでありましょう」[16]。カルヴァンは、悪を体現し、実際に行う人々をサタンと呼ぶ。後に見るように、カルヴァンにとっての悪の体現者は、自然的な災厄や病などではなくて、人間の罪がもたらす悪である。したがって、カルヴァンにとって罪と悪は同義である。

カルヴァンが、ローマ・カトリック教会の輩と彼らが行う呪術的な営みを厳しく批判するとともに、自分たちの正しい意味での伝統は、教父たちの教えと合致しているものあり、教父たちの知恵と信仰、つまり彼らがキリストに例外なく服した姿勢とあり方こそが、受け継ぐべき事柄であって、それらは、聖餐理解、画像理解、死者の埋葬の理解、結婚の理解などに及んでいると考えている。ローマ・カトリック教会の聖職者たちの詭弁と屁理屈によって、教父の教えから離れているのは、カルヴァンらではなく、むしろ彼らなのだと主張する[17]。

そのうえで、ローマ・カトリック教会が問題にしている「慣習」について論じる。カルヴァンは、ローマ・カトリック教会の慣習は、ただ多数の人々によって行われるようになったために、「慣習」としての権利を与えられたにすぎず、「多数者の私的過ちからしばしば公の誤謬が起こったり、公衆が悪に賛成することになったりします。今日これらのりっぱなかたがたは悪を法律にしようとしておられるのです」[18]と分析している。

カルヴァンのこの分析は、カルヴァンが悪をどのように理解していたかを示すとともに、宗教改革運動の発端を知る上で、きわめて重要である。カルヴァンは、社会で共有されるようになった慣習と伝統を直ちに真理と呼べない理由を以下のように述べる。「人間のふるまいは正しくなされることはほとんどなく、よりよいことが多数の人々の意に適うこともほとんどないくらいです」。つまり、個人の悪しき振る舞いは、多数になると修正されるどころか、反対に増幅されていく。これが悪の現実である。「・・さまざまな悪のうち一つの海だけが地を浸しているのではなく、多くの危険なペストが地をおおい、すべてがどっと流されて行くのです」[19]。つまり、悪は個人から集団へと拡大し、質的にも量的にも地を覆うような力となって流布していくと考えている。

このような悪の現実に対して、カルヴァンは、主を聖なる者とするなら、さして恐れることはないという姿勢を鮮明にする。

「ですから、彼らが勝手に過去現在の例を私たちに投げてきても、主を聖なる者とするならさして恐れることはありません。たとえこうした不信仰に何世紀も人々が同調してきたとしても、主は三、四代にわたって復讐を行う強い方であります。またたとえ全世界が同じ悪を企んでいたとしても、主は実例によって、多数の者とともに罪を犯す者の最後がどんなものかを教えてくださいます。洪水によって人類を滅ぼし、ただノアとそのわずかな家族を救われたとき、主はこのことを教えたのです。ノアは彼ひとりの信仰によって、全世界を断罪したのでした。つまり、邪な慣習は一種の公な疫病であり、多数の者とともにそこに落ち込んだからといって、そのために破滅を免れることはありません(Denique prava consuetudo non secus ac publica quaedam est pestis, in qua non minus pereunt,qui in turba cadunt)」[20]

カルヴァンは、悪しき教会の滅亡をただ預言しているのではない。むしろ、キリストの教会は、キリストが御父の右に座している限り存続し続けてきたし、これからも存続するゆえに、将来も保たれるはずだと確信する。教会は、キリストの手によって支えられ、その庇護によって武装され、その力によって強くされていると述べている。つまり、カルヴァンは、キリストの体なる教会と争っているわけではなく、ローマ・カトリック教会の輩が、自分たちの教会を真理からはるかに遠ざけている現実を批判し、そのような教会の在り方を改革しようと試みているのである。「彼らは自分たちの眼で見る教会のみ認めて、閉じ込められるはずのない境界の中に教会を囲い込んでいるのですから、真理からはるかに遠ざかっているのです」[21]と明言する。

さらにカルヴァンは、自分たちの反論が以下の2点に向けられるべきことを指摘する。第一は、ローマ・カトリックの論者たちが、教会の形はいつも可視的なものだと主張すること、第二は、そのために、彼らが可視的な位階制度を造り上げた事実である。カルヴァンにとって、真の教会は「神の言の純粋な説き明かしと正しい聖礼典の執行」にあること、しかも、地上の教会が形を持たず、いわば隠れたように存在する期間があったとしても、教会は常に昇天したキリストによって支配され、教会は存続させられていることを疑ってはならないと主張する[22]。

これら二つの問題は、教会という特別な称号を用いながら、ローマ・カトリック教会が自分勝手に自分たちこそ価値あるものだと主張するところにある。カルヴァンは、これは「ひどい教会のペストである人々(cum tamen essent exitiales ecclesiae pestes)」[23]の仕業なのだと断定する。

カルヴァンは、真の教会を理解せずに、誤った教会を打ち立てようとし続けてきた人々を、はっきりと「ひどい教会のペストである人々」と呼んでいる。ローマ・カトリック教会は、教会内で生じている騒乱や無秩序、争いの原因をカルヴァンらに帰しているが、実は、サタンの悪企みであると喝破している。カルヴァンは、国王フランソワ1世に対して、序文の最後に近い部分でこう呼びかける。

「彼らが教会の何であるかを言う根拠にしている教理が、魂の恐るべき処刑場、葬いの松明、廃墟また教会の破壊であることは、陛下が相当の時間を割いて私たちの書物を読まれれば、はっきりと知られるでしょう。つまり、私たちの教えが語られるときどんな多くの騒ぎや無秩序や争いがもたらされるか、大衆の間にどんな結果が生じるかを彼らはねたみ心から述べ立て、しかるべき誠実さをもって語りはしないのです。まことに、これらの悪の咎は不当にも私たちの教えに帰せられておりますが、じつはサタンの悪企みにこそ帰せられるべきであったのです。ここに、神の言のいわば特質といったものがあります。すなわちサタンが静かに眠っている間、神の言は現れ出ては来ないのです(Est hic divini verbi quidam quasi genius, ut nunquam emergat quieto ac dormiente satana)。そこでこの絶対確実で信頼すべき信仰のしるしは、やすやすと作り出される偽りの教えとの区別になるものであり、すべての注意深い耳によって受け入れられ、拍手をもって迎える世の人々に聞かれるものです」[24](下線は関川による)

カルヴァンは、サタンが跋扈し始めた今こそ、神の言が現れ出るときであると信じていたことがわかる。神の言という絶対確実で信頼すべき信仰のしるしによって、自分たちをサタンに仕立て上げている真のサタンに対して、主が強き手を伸ばして勝利をくださることをフランス王に訴えて序文を終える。『キリスト教綱要』初版は、先にも述べたように、ルターの小教理問答に範をとったカテキズムの要素を持つことは明らかだが、序文を読むと、教理の提示は、誤った教理とそれを奉じる悪の支配を明らかにする目的を同時に有していることもわかる。しかも、教理の提示によって、神の言が現れると、悪とそれを行使するサタンが現れ出る。宗教改革とは、教会が改革と刷新を遂行することによって、いわば一種の悪魔祓いとなるのである。

カルヴァンの初期の著作の全体は、悪の支配を明らかにして、今立ち上がってきた神の言の力と支配を取り戻すという動機が存在する。この動機は、諸著作によって、見え方にヴァリエーションがあるものの、後期の著作にまで一貫している。特に、『ヨブ記説教』には、いわゆる神義論的な議論と並んで、カルヴァンの悪理解が彼の悪との戦いの説教という形で展開されている。そこで以下では、『ヨブ記説教』に至る、悪についてのカルヴァンの理解をほぼ年代順に辿ってみよう。

 

2 『サドレへの返書』(1539)

『サドレへの返書』[25]は、1539年カルヴァンが、ストラスブール滞在中に書いた初期の文書である。サドレは、カルペントラスの司教にして枢機卿であり、ローマ・カトリック教会の論客であった。彼は、1539年3月18日付で、宗教改革に舵を切ったジュネーブ市に手紙を書いて、ローマ・カトリック教会に戻るように働きかけた。「母なる教会」からの離脱を遺憾に思い、ジュネーブの改革者と称する「詐欺師」ファレルに騙されている状態から覚醒して、カトリックに戻れと呼びかけたのである。これに対して、ジュネーブ市は、すでに1回目のジュネーブ滞在を終えて、ストラスブールで亡命生活を始めたカルヴァンに懇請して、サドレへの返書の執筆を依頼した。カルヴァンは、相手の主張の論理を受け止めて、逐一論駁するという高度な論述の技巧を用いながら、相手を論駁することに成功した。カルヴァンは、この書の中で、『キリスト教綱要』初版の序文と同じく、ローマ・カトリック教会の論客たちを悪徳にからめとられた人々と認識し、教会における新しい改革する教会の牧師を、「主の御業を力づくで妨げる者たちの企みを阻止するための武装」[26]をして自分自身のつとめを遂行する人々と認識している。

この文書では、カルヴァンの冷静な筆致が際立っているが、それでも悪に対する戦いのモチーフは随所に見られる。ローマ・カトリック教会の過ちは、倒錯した、偽りの捏造された礼拝を捧げているところにある[27]。そもそもサドレは、教会の定義を間違っていると指摘する[28]。確かに教会は、時空を超えてキリストにあって一つであり、キリストの聖霊において一致するものであると言えるが、サドレは神の言葉を真の教会の指標と考えていないところに、彼の教会理解と教会の定義の根本的な過ちがある。そこでカルヴァンは言う。「主は、御言葉なしに聖霊のことを述べたてるのは危険であるとあらかじめ考えられたがゆえに、教会が聖霊によって統治されると堅く述べられつつも、この統治を確実にして不動のものとするために、聖霊に自らの御言葉を結び合わされたのだ」[29]。

神の御言葉を蔑ろにして、真の教会のしるしを重んじることができないのは、ローマ・カトリック教会のみならず、再洗礼派も同じとみている。そこには、サタンが自分の姿を現して、聖霊と御言葉を切り離そうとしているのである[30]。

このサタンとの戦いを勝利へと導くものは、神の御言葉以外にはない。「使徒によれば、戦いにはたった一つの剣しかない。すなわち神の言葉である。神の言葉を欠いては、魂は丸腰のまま悪魔に引き渡され、殺されることになる」[31]。

この言葉から、カルヴァンの戦いが、聖霊と結びついた神の言葉の力によって支えられるものであり、悪魔に勝利をもたらすのは、御言葉の説教と告知以外には存在しないと考えられていたことがわかる。

 

3 『教皇派の中にある、福音の真理を知った信仰者は何をなすべきか』(1543)『ニコデモの徒に告ぐるジャン・カルヴァンの弁明』(1544)

カルヴァンは、初期の著作『教皇派の中にある、福音の真理を知った信仰者は何をなすべきか』[32]『ニコデモの徒に告ぐるジャン・カルヴァンの弁明』[33]さらに後に取り上げる『躓きについて』[34](いずれも『カルヴァン論争文書集』久米あつみ訳、教文館所収)の中で、第一に、宗教改革が始まった時期に、ローマ・カトリックの悪弊と堕落を知りながら、口を閉ざし、改革に邁進するどころか後戻りする人々に対して、たいへん厳しい口調で叱責を繰り返した。ある意味の「同志」をも敵に回すことを恐れずに行動したと言える。第二に、カルヴァンは、後戻りする人々の説く福音を「偽装された福音」と呼び、サタンの奸計にとらえられたもので、「福音の教理をこの世において悪意に満ちたものに変えようとする」[35]たくらみであると喝破している。第三に、福音の本質・本義は、「すべての障碍を取り除いて神の王国へと容易に到れる路を私たちに与えることにある」のであって、「躓き」の原因をキリストや福音に帰することほど間違ったことはないと考えている[36]。

ここに示されていることは、1559年版の『キリスト教綱要』にも散見される主張であり、カルヴァン神学の形成の内的動機を一貫して提供しているものである[37]。カルヴァン神学は、出発の時点から、静的かつ内省的な思索が結実したものではなくて、むしろカルヴァン自身の戦いと行動を通して形成される神学的思索であり、だからこそ教会形成の学となりえたのである。

宗教改革者たちは、すぐれた神学的思索の持ち主であったが、同時に真の意味で行動の人でもあった。信仰義認という教理は、行為と行動は二の次であるとの誤解を生んできたが、実際は、信仰義認の教理のために、さらには聖書という唯一の規範の擁護のために、命をも賭する覚悟が宗教改革者たちには共有されていた。

カルヴァン自身は、ニコデモの徒と呼ぶべき人々を分類しながら、第一に批判されるべき人々を次のように述べています。

「第一の種類は、他人の信用を得るために福音を説くことを生業とし、民衆に甘い蜜を与えるようちょっぴりと福音の前味を利かせる手合いである。・・彼らは人を引きつけるには福音の餌を使えばどんな手段よりも良く、名声高き噂を得ることができると考えるのである」[38]

カルヴァンは、第二の種類として、福音を聞いてすっかり満足し、気ままに暮らすことの邪魔にならない程度に、福音について面白可笑しく気晴らし程度に話す人々を挙げている。第三には、「キリスト教を半ば哲学に変えてしまった輩があり、・・改革を実行する段になると、彼らはそれが危険なことを知っているので、からきし勇気をもたないのである」と述べている。カルヴァンは、「この輩はほとんどみな文筆の徒である」と言い、次のように続ける。「私はもしすべての人間の学問(シアンス・ユメーヌ)がこのようにキリスト者の熱誠を冷まし、神からキリスト者を離反させる原因になるのなら、それらは地上から追放された方がましだと考えている」[39]。最後に第四の種類として、「商人や一般の人々が入る。彼らは自分の仕事がうまくいっているので、人に生活を脅かされるのを嫌がるのである」[40]。

『ニコデモの徒に告ぐるジャン・カルヴァンの弁明』(1544)は、ジュネーブで公にされた文書である。『教皇派の中にある、福音の真理を知った信者は何をなすべきか』(執筆1540年9月ストラスブール)と合わせ、『迷信の中で生きることについて』という表題の論文集にまとめられ、ラテン語で発表されたものである。1551年には、フランス語版が出る。この文書は『教皇派の中にある、福音の真理を知った信仰者は何をなすべきか』(1543)に対する反発と不満に答えて書かれた文書であり、ジュネーブに帰還して、改革と刷新を本格化すると、リベルタンや再洗礼派などの反対勢力が、カルヴァンを激しく批判するとともに、改革に対する批判の論陣を張ることになる。結局、改革に賛同していたのは、建前に過ぎず、ローマ・カトリック教会の慣習や神学の改革と刷新に与する人々が出始めるのである。つまり、『キリスト教綱要』初版の出版からおよそ数年後には、すでに宗教改革陣営の中から、福音主義改革を妨げる輩が出現する。カルヴァンは、ニコデモの名を用いて、優柔不断の偽りの改革者、宮廷人、哲学者、著作家などを厳しく批判する。

この文書では、批判の矛先は、ローマ・カトリック教会だけではない。自分たちの陣営の似非改革者を痛烈に批判している。このことは、カルヴァンが、冒頭に「彼らは門の内にいて戒める者を憎み、直截に語る者を忌む」(アモス書)という言葉を掲げていることからも明瞭である。改革運動が少しく進展すると、自分の身を案じて、自己保身から改革運動から離脱する人々が出始めたのである。

カルヴァンは、 わたしたちが体も魂も神よって創造され、徹底して神に属しているからには、一部分だけで神を崇めるわけにはいかないこと、つまり全身全霊を持っての戦いを回避するわけにはいかにことを訴える。

興味深いことは、このような議論もまた、悪との関係で展開されていく。いわゆるニコデモの徒は、カルヴァンが厳格すぎると言い、非人間的すぎると批判する。その理由は、「自分のかさぶたをかきむしられるに耐え得ないから」[41]という。彼らは、「人の前でどんな態度をとろうと 、裡なる愛は神のもの」と言って、抗弁するのである。これに対して、カルヴァンは、次のように言う。

「しかしこの言葉はただ、神と悪魔との両股をかけて、魂は神に、体は悪魔に与えることを意味するだけではないか。なるほど少なくとも彼らの言うところによれば、彼らは心を神に取っておく。しかし彼らは何の苦労もなく、神を瀆す邪まなことどもに体を引き渡すのである。いったい、神はこのような混淆をよしとするであろうか」[42]

ここには、カルヴァンが悪をどのように見ていたかが明瞭に示されている。悪は、魂を神に向けているように装いながら、体は悪魔に与えている人々の現実である。「神と悪魔との両股をかけること」、これが悪の本質なのである。しかも、誰が二股をかけているかは、実際に行動し、関与しなければわからない事態である。つまり、カルヴァンにとっての悪とは、その実体や本質を明らかにするような形而上学的な思索の対象ではなくて、改革運動の中で、すなわち神の言による改革と刷新を実行する中ではじめて見えてくる現実なのである。カルヴァンは、『キリスト教綱要』最終版まで、悪の問題を論じていないわけではないが、悪の哲学的な思索や形而上学的な検討には多くの記述を費やしてはいない。神義論的な問いは出されるが、その神学議論が体系的に展開されているわけではない。後で見るように、後期には、『ヨブ記説教』でカルヴァンは悪の問題に繰り返し言及するが、それは、み言葉の説教による悪との戦いそのもののであった。つまり、『ヨブ記説教』は、悪の本質や実体を説明したり、闡明にする目的で語られた言葉ではなく、彼が直面した教会と世界の現実との戦いの言葉なのである。

宗教改革運動の進展が生じるとすぐに、カルヴァンの戦いのフロントは、ローマ・カトリック教会だけでなく、いわば身内の中にある悪に向けられる。つまり、宗教改革は、その発端から、神の言を唯一の武器とする戦いであったからこそ、身内に侵入してくるサタンの誘惑に対抗する必要を深く自覚していたのである。本書は以下のような締めくくりの言葉で閉じられる。

「すべてのサタンの抵抗と戦いつつ、主イエスの国を打ち建てるのに力を尽くしてほしい。宣教者たちは自分の身に気をつける心遣いをするより、召命の命じることをなし、また彼らが真理の講壇に登って、イエスの名によって語ると公言していることを実行してほしいのだ」[43]

カルヴァンは、『ニコデモの徒に告ぐるジャン・カルヴァンの弁明』が書かれる4年前の1540年に『教皇派の中にある、福音の真理を知った信仰者は何をなすべきか』を書く。それは、カルヴァンが最初のジュネーブ改革に失敗し、ストラスブールで亡命フランス人の集会の説教者として働いている時期にあたる。すでにフランス国内では、1534年の檄文事件以降、国王フランソワ1世による、カトリック勢力の巻き返しが起こり、福音主義者たちは窮地に追いやられて、カトリックとの妥協止むなしという雰囲気もまた醸成されつつあった。カルヴァンは、亡命中でありながら、そのような宗教改革陣営が、カトリック教会の「偶像崇拝」へ逆戻りすることへの厳しい批判を展開する。つまり、1540年から44年にかけて、第一回ジュネーブ滞在後から第二回ジュネーブ滞在の初期の時代まで、カルヴァンはかなり一貫した姿勢で、改革陣営の中に入り込んだ悪とサタンの問題を扱っている。

『教皇派の中にある、福音の真理を知った信仰者は何をなすべきか』の冒頭で、列王記上8章21節を引用しながら、偶像崇拝の迷妄の中にいる信仰者の現実を語り始める。カルヴァンが論じているのは、福音が無いところである。これは、まことに興味深い論述の仕方である。福音そのものの定義や弁証ではなくて、福音に生きていない現実がまず明るみに出され、厳しく批判される。言うまでもなく、偶像崇拝の迷妄の中にいるのは、ローマ・カトリック教会であるが、それだけではなく、改革にしり込みし、後戻りする同志たちも視野に入れていることがわかる。カルヴァンは言う。「およそすべての支障は、私たちがいつも、神の意にかなうことよりも、世間的好意を保つのに汲々とすることから起こるので、おのおのの信者に対し、自分の恣意を押さえて、我が主の意志に従順であるようにと、私は主の名によって勧める」[44]。

要するに、カルヴァンは、ローマ・カトリック教会とそこから離れられない輩が、世間的価値観と自分の恣意を偶像として祭り上げ、自分を捨てることができないでいる現実こそ、福音から外れた証左と考えている。カルヴァンは次のように続ける。

「身体と財産を失うような危険に身をさらし、世人の怒りを買い、恥辱や罵りを受け、気ままに暮らせる土地を離れてあてどなく異国の地にさまようのはつらいことである。私もそれは認める。だがイエス・キリストの学び舎で私たちが学ぶべき第一の教えは、私たち自身を捨てることでなくて何だろう[45]。

カルヴァンは、偶像崇拝を指摘されても、それを改めることなく、自分をかばうための言い逃れに終始する輩は、神の審判を免れることはできないであろうと主張している[46]。そのような人々は、結果として「神を正しく崇める確信がないので、自分を弁護して他の者たちと一緒に多くの偶像礼拝で身を汚していることを、正当で立派なことと認めさせることだ」と断言する[47]。そしてカルヴァンは次のように言う。

「彼らは、神の真理が冒涜されるのを忍び、イエス・キリストに対してどんな恥辱が加えられても何の反駁もせず、そればかりかそれに同意するふりまでした。それは、キリスト者であることを見破られないようにすることだけを重んじたからである。この世の分別、つまり邪悪な巧みさによって、このように神と世間とを欺こうとする、こんな態度の人々は、結局どういうことになったのか。神はかつて与えた知識をこの人々から取り上げ、暗黒の渕に落ちるように、彼らを堕落するがままに捨て置いた、最後に悪魔が彼等を捕え、福音に立ち向かわしめ、神の教えをそれと知りながら怒りと猛々しい残忍さとをもって迫害させたが、それも当然のことだ」[48] 

カルヴァンの批判の矛先は、当時のローマ・カトリック教会を口では批判するが、実際は真のキリスト者であることを偽装して、神と世間とを欺き、しかも、教会内にぬくぬくと存在し続けている人々に向けられている。カルヴァンは、今求められていることは、教会が肉的な都合によって、自分自身を配慮することを止め、危険が身に迫っても、たとえ財産や生命喪失の危険に直面しても、神の守りを信じて、結果を神に委ねて行動することであると主張する[49]。カルヴァンは明確に言う。「これこそ、この問題について私たちが正しく己を律する唯一の手段である」[50]。ここでは、教会が肉と魂を分けて、魂を「清廉」に保つと表面では語りつつ、肉においては堕落と不信仰隠している現実が暗に批判されている。

わたしたち日本のプロテスタント教会は、信仰義認という教理の表面的な理解によって、福音のために生き、死に、すべてを神に委ねるという行為と行動のすさまじい思想が宗教改革者たちの中心にあることを読み損なってきたのではないだろうか。

カルヴァンが見抜いたローマ・カトリック教会の過ちとは、単純に正統教理からの逸脱ではなくて、正統教理の偽装である。正統教理の偽装とは、結局のところ、魂と体に分離であり、体の堕落を隠す悪に他ならない。ローマ・カトリック教会は、外的な堕落によって、体の堕落を人々に見せ始めた。しかし、それを批判して始まった宗教改革とその賛同者たちも、実は、体と魂の分離を内側に隠していて、魂を清廉に見せるだけ、体の堕落を巧妙に隠しているにすぎないのである。そこでカルヴァンは、次のように述べる。

「著者が今とくに扱おうとしたのは、福音の真理を正しく教えられたキリスト者が、教皇派のなかにあるとき、他の者たちがするようにミサに行き、像や聖遺物を拝し、いろいろの儀式を行ったら神を冒瀆することになるか否かということである。ある人々の言いがかりを防ぐために、身を隠すことが悪いことかどうかではなく、偽装して真理に背く行いをすることを問題にしよう。隠蔽は心の中にあることを隠す行為であるが、偽装はそれ以上のものであって、そうでないもののふりをしたり、装うことである。口での偽りが、事実を偽装することになる」[51]。

カルヴァンの批判は、神に栄光を帰するふりをして、偶像崇拝の悪を隠し続けて、内実の堕落を隠すことにある。この堕落こそ、「福音の真理を正しく教えられたキリスト者」が戦いの対象としなければならないものであった。神にのみ栄光という合言葉は、その内実において、偽装された人間と教会に栄光を帰する当時のローマ・カトリック教会のみならず、宗教改革者の陣営の堕落に対する本質的な批判を含んでいた。

福音宣教を担う教会が、倫理的な共同体となることは必然であろう。福音の力は、わたしたちを全人的に作り変え、新しい生き方へといざなうからである。同時に、わたしたちは、新しく生まれ変わった信仰者による共同体の一員となる。

古代教会では、キリスト教徒の倫理とローマ社会の倫理は、かなり近接していたと言われるが、禁欲の理想と実践は、キリスト教徒特有のあり方を形作ったことも事実であった。明治期のプロテスタント教徒も、日本と世界の社会と政治の責任ある一員として自覚しながら、厳しい克己をキリスト教的倫理と融合させた。

ひるがえって、わたしたちはどのような倫理的な基盤を持つのだろうか。宗教改革なきプロテスタント教会に属するわたしは、福音から生まれる倫理を共有すべきである。伝道者には、キリスト教徒であるとともに、伝道者固有の倫理意識が求められる。

それは、自分のわずかな利益と利益への欲求のために、仲間の伝道者を犠牲にしないという倫理であり、世俗の倫理の乱れに身を委ねないという克己であり、万が一罪を犯した場合には、戒規を受ける覚悟を持つことであり、教会は福音に根ざした戒規執行を行うことができるような職制を制度化することである。倫理的諸課題を隠し続け、もみ消す集団こそ、堕落し、弱体化し、集団のアイデンティティーのみならず、福音をも偽装する存在に他ならない。

カルヴァンは、初期の改革陣営内部の堕落を激しく指摘し、明るみに出し、批判を求めている。彼が見た現実は、『教皇派の中にある、福音の真理を知った信仰者は何をなすべきか』の中に鮮やかに描き出されている。それは、当時の教会の風潮や文化という問題ではなくて、人間の罪と悪という本質的な問題とかかわっている。福音の宣教、神の言によってしか解決できない課題なのである。

カルヴァンの周りに起こっていることは、「改革、改革」と叫ぶことによって表面的には改革を推し進めることに賛同しながら、結局は自分の利益と利益への欲求を隠して、他者を犠牲にする悪しき行いであり、それらを隠し通そうとする仲間意識であり、教会内の混乱に対して、自分の責任を自覚しない伝道者のあり方である。そのような生き方は、結局御父から差し出されるままのキリストの前に生きるのではなくて、自己実現の道をひたすら歩みつつ、それを隠し続けて、結局は破たんする伝道者の問題と言える。このような悪と戦うことをしない教会と教会人の堕落もまた、教会をキリストの福音から引き離す心性以外の何ものでもないと自覚されていたのである。

虚偽の福音は、虚偽の倫理を生み出し、聖霊の働きではなくて、悪霊の働きが、教会や神学校を支配し、衰退と崩壊を招く。

 

4 『躓きについて』(1550)に見られる悪の問題

カルヴァンは、1546年に『躓きについて』の執筆を開始したが、しばらくの中断後の1550年に完成した[52]。当時、ファレル宛の手紙の中で、本書が弱い人々もまたサタンが準備するあらゆる躓きを確固たる信仰によって克服できるように強められねばならないと述べて、もしサタンの誘惑に屈して、正しい道からそれるなら、責めを負うのは、当の本人であり、躓きを起こす人間には神の罰が臨むことを明らかにしたものであると説明している[53]。

カルヴァンが扱う、躓きをもたらす人々とは、ローマ・カトリックの教皇主義者はもとより、リベルタン、再洗礼派、ユマニストにまで及ぶ。そこで、この書は、宗教改革の運動を阻む、教会内の躓きとなるものを明らかにする、いわば悪論なのである。この書ほど、カルヴァンが当時の教会の現実をその内側からいかに透徹した眼で見ていたかを示すとともに、それらの躓きを乗り越える道筋を示した書物はない。行ってみれば、宗教改革を勝ち取る「戦闘の教会」の手引書なのである。

カルヴァン神学とは、「躓き」、すなわち福音に触発されてさまざまな悪や弁解や虚栄、嘘、などに逃げ込んでいった人々の悪との戦いを乗り越えて、福音に根差す教会を立てようとした神学の全体である。したがって、『躓きについて』は、先の『キリスト教綱要』に付された国王フランソワへの序文とともに、カルヴァンの改革者としての生涯と神学の背後に流れる基調音を形成する。このメロディーなしには、カルヴァン神学の全体は理解できないであろう。

カルヴァンは、「私に躓かない人は幸いである」という主の言葉を引いて、そもそも主イエス・キリストの福音に「躓き」があることを指摘する。その理由を次のように述べる。

「というのも主は、「『福音』の教理と信仰告白のうちには人間の理性に対立する多くのものがある」ということのみならず、「サタンは『福音』の教理をこの世において悪意に満ちたもの、あるいは疑わしいものに変えようと、巧妙な手口でもってたちまちのうちにさまざまな躓きと妨げを作り出す」という事実を知っておられたからである」[54]

つまりカルヴァンは、主イエスご自身の福音は、時に悪魔によって別なものに変えられ、巧妙に躓きと妨げを作りだすために、実は主ご自身は躓きではないのに、主がご自分を人々に現すたびに、福音が躓きに変えられて、人々を躓かせる。だから、主は「私に躓かない人は幸いである」と語られたと説明する。ここには、悪が、福音の宣教と密接に結びついていることが言外に示されている。福音が語られるからこそ、そこに巧妙な偽装とそれによる躓きが生じるのであり、「福音」と「躓き」とは、正反対の概念ということになる[55]。

すると、福音には躓きがつきものであり、それを取り除く責任がクリスチャンには求められることになる。したがって、はじめから躓きのないキリストは存在しないのであり、もし躓きのないキリストが提示されたなら、それは、捏造されたキリストということになる[56]。「どんな躓きをも乗り越えるような忍耐のための心構えを少しもしようとしない人は、キリスト教信仰を理解することがまったくないばかりかその名に値もしない」[57](259頁)。

しかし、だからと言って、私たちのなかにある躓きに抗うことは困難であり、クリスチャンの歩みには、躓きが付きまとう。問題は、躓きに出会って、イエス・キリストから離れてしまったり、福音の敵となってしまう人々である。カルヴァンは、そのような人々を4つの類型に区分して説明する[58]。

第一は、「ある人々は生まれつき平和を愛するがゆえに、思い切って教えを味わうことがないくらい臆病であり、そのため本当に躓きを憎んでいるように見える」人々である。第二は、「他の人々は愚鈍かつ強情で、彼らは悪意よりもむしろ愚かさのゆえに混乱している。躓きという口実のもと強情を張り、正気に戻ることを拒否する」人々である。第三は、「『自分は賢人である』との常軌を逸した高慢と偽りの妄想に酔うあまり、思い上がりによって躓きさえも自ら作り出してしまう」多くの人々である。第四は、「悪しき意図をもってできる限りの躓きをかき集め、その上、多くの躓きを避けるためにというよりはむしろ『福音』を妨害しあらゆる手段を用いてでも傷つけるため、多くの躓きを作り出す」人々である。

これらの類型は、要するに、悪魔の類型なのであり、とりわけ第三と第四の類型は、弁護の余地のない、「厳しく斥けられるべき」[59]人々である。カルヴァンは、そこには、一切の人間らしさはなく、野獣のような「破廉恥行為」があると述べて断罪している。

そうであれば、問題は、どのようにして、これらの悪から免れるかということである。福音そのものが、躓きをもたらすのであれば、ただちに悪魔は、福音への激しい憎悪をもたらし、それまで隠されていた不敬虔があらわになり、「さまざな分派や恐ろしい誤謬が泡沫のようにわき上がる」[60]。「福音」の信仰を告白する者のうちの多くが、自らの悲惨な生に捕らえられて「福音」を軽んずるようになり、それまで心が燃えていても、やがて冷めてしまい信仰から離れて、イエス・キリストを捨てるようになるとさえカルヴァンは述べている。

結局のところ、サタンは人間の弱さを利用して、神の教師たちの間に対立を生ぜしめ、信仰者のように見える人々をあたかも立派な信仰者のように仕立てて、換骨奪胎していくのである。

そういう現状の中で、神の知恵に至り、救われるのは、「この世において愚かにされる以外にはない」[61]とカルヴァンは明言する。つまり、カルヴァンにとって、キリスト教信仰のすべての基礎となるのは、「神に対する良心また畏れ」であり、これがなければ、どのような改革も新しい試みも無駄なのである。救いの門をくぐるためには、「真に謙って、自分が贖い主をどれほど必要としているかを認識し」なければならない[62]。「恵みにより永遠の死から救われることを望む人々に対してでなければ、イエス・キリストについていくら語ろうとも無意味なのである」[63]と述べている。

そこで、愚かにされることを恐れる「この世の子ら」は、福音を憎むとともに、躓きがあたかも存在しないかのようにふるまう。それは、偽善の罪である。偽善は、あたかも善であるかのような振る舞いの下に、悪が隠されていることである。カルヴァンは、印象的な言葉で以下のように述べている。

「イエス・キリストは、『この世の子らは、悪しき行いが明るみに出ることを恐れて『福音』の光を憎む』と述べて、この躓きについてだれにも分かるように語られた。なぜなら『福音』が斥けられるところでは、虚しく偽りに過ぎない肉の知恵が女王のごとく力をふるうようになり、偽善者によって捏造された『神聖』が孔雀のように翼を広げるからである。しかし、義の太陽であるイエス・キリストが『福音』の光を帯びて舞台に現れると、かつて雲の上までまつり上げられていた偽りの光は、ただ消え失せるだけでなく糞尿のごとくに扱われることになる。」[64]

カルヴァンの悪についての洞察は透徹している。この偽善こそが、改革運動の悪であり、改革と刷新を妨げているものである。自分のことを賢いと思っている人々で、「福音」に対する敵対者でない者はわずかしかいないと指摘しつつ、偽善者たちの狂わんばかりの怒りを具体的にピエール・ビュネルの名前まで挙げて指摘している。偽善者たちの怒りは、結局は、「自己顕示や自己満足に身をゆだねたためである」とはっきりと書いている[65](273頁)。

カルヴァンは、個々人の偽善という事実のみならず、教会全体の状況から、人々が躓いている現状にも言及している。その原因は、教会には、神の国を感じるような美しさがないからであるという[66]。

「今日多くの人が『福音』に近づこうとしないのは、私たちが少数であり、少しの権威しかもたず、何の権力もない一方で、教皇派の中には反対のことがみえるからだ。今日の状況は事実このようなものなので、まことの教会の貧弱な状態から彼らをすくませ、私たちの反対者たちの盛大な様子が彼らの眼を眩ませるのである。しかしこの『躓きの』石に躓き、この躓きに邪魔される者は、キリストの支配が霊的なものであることを知らない者である。イエス・キリストが馬小屋で生まれたことによっても、十字架にかけられたことによっても、キリストを王として崇めることから引き離されない者たちは、彼の教会が惨めな状態にあり、小さなものであるからといって見下すことはないのだ。イエス・キリストの生ける姿は教会の状態の中に鏡のように現れていることを、すべての者は口に出してはっきりと告白しなければならない」[67]。

カルヴァンは、教会の現状を語りつつ、これを改革し刷新する「戦う教会」でなければならないとも指摘する。しかし、言うは易し行うは難しである。カルヴァンは次のように言う。

「事実『戦う教会』という名は非常によく知られていて、子供でもそう語ることができるほどである。しかしこのことを実行する段になるとすべてが忘れられ、各人はキリストの姿をまるで粗野なもののごとくに避けるのである。・・・私たちとしては、教会の外的状態はいかにみじめなものであっても、その美しさは内に輝くものであり、地上ではいかに移ろいやすいものであっても、天にて堅く立てられた座を持っていることを覚えよう。また教会はこの世的には引き裂かれ散り散りになり、打ち砕かれていても、神と御使いたちの前には完全な姿で立っている。つまり肉によればいかにみじめであろうと、霊的至福は教会に留まるのである」[68]。

カルヴァンは、霊的な至福が内に留まる教会を目指して、改革と刷新を目指す限り、教会は、この世の中で歩む限り、「戦闘状態に置かれている」と認識する[69]。しかも、その戦闘状態は、十字架の直下にある。十字架の直下にある教会は、神の摂理によって守られ、たとえ激しい嵐の中を歩むとも、それは、神の鍛錬であり訓練として有用なものだと認識できる。ここにカルヴァンの悪理解のもう一つの側面が見られる。つまり、神の創造された善なる世界になぜ悪が存在するかという問いへの答えである。カルヴァンは、この問いについて、後に見るように『キリスト教綱要』の中で言及し[70]、悪と悪魔について一定の形而上学的な土俵で議論を行っているが、カルヴァンの意図は、悪についての理論や神義論の説明ではなくて、現実の教会が直面する悪をどのように理解するか、そして教会に生きている人々が納得して、改革と刷新を継続できるかというきわめて牧会的な観点が背後には存在する。

カルヴァンは、教会が揺らぐ歴史的な起源を、イスラエルから新約の時代まで概観する。そのうえで、「しかし不正な者たちが大いに脅迫し、できる限りの殺人をしようと荒れ狂っても、教会は十字架の下に辱められたとはいえ滅ぼされずに立ち続けることができたのだから、教会がこのように保持されていることに、神のすばらしく壮大な奇跡を認めずにおられようか」[71]と述べている。

カルヴァンにとって、悪の本質は、悪の罪責を福音になすりつける人間の所業である。福音によって改革と刷新を図る運動がおこると、たちまちのうちに私たちの平穏は破られる。戦いが始まるからである。ところが、ある人々は、福音こそが不和の原因であり、平穏を破る元凶であると考え始め、自分の悪の罪責を福音のせいにする。この時こそ、人間が悪に支配され、サタンが人々を己の罠にとらえた瞬間なのである[72]。そこでカルヴァンは次のように語る。

「もし肉体の隷属ということだけならば、流血やそれ以上の無秩序に到るような大きな騒動を起こすより、静かにふるまって自由の身になる方が良い時もある、と私は喜んで同意する。しかし私たちの魂の永劫の破滅が問題となるなら、私たちはどんな平和も守るに値しないと考えなければならない。その平和を守るために私たちは知りつつわが身の破滅をまねくだろうから。さらに悪質なのは『福音』をこの世と一致させようとして、神の御子の権威と支配とを奪うことである」[73]。

戦いの必要な現状にあっても、人間は平穏を望む。静かにふるまって自由である方がよい、そういう選択があることはカルヴァンも十分承知している。しかし、それはサタンの平穏にすぎず、本当の自由も、神礼拝も奪われたままにすぎない。そこで、サタンに対して戦うときに、キリストが到来する。キリストは、暴政からサタンを追い出すことを特別な恩恵として約束されたとカルヴァンは確信する[74]。

ここには、きわめて示唆に富む主張が見られる。悪とその現実であるサタンとの戦い、観念ではなくて、実際に戦いに参与したときに、サタンの姿とサタンに勝利をもたらすキリストの姿を見ることができる。つまり、悪もキリストも、戦いへの参与がなければ、永久に観念でしかないことになる。結局は、クリスチャンも教会も「偽りの平和」の中に過ごしているにすぎない。カルヴァンにとっての悪の理解は、悪との戦いに参与することではじめて、思索の対象となって現れ、しかも思索の対象は、戦いを放棄すれば、再びサタンの支配下に留まり続ける。悪に対する勝利は、神のみ言葉という剣をもって、戦い以外にはない。逆に、「敵が剣を奪い取れば、悪魔への屈服が生じる」[75](サドレへの返書、158頁参照)。

 

(以下次号)

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